人から受けた熱、思い
今日は、「先生の学校」というイベントに参加してきました。
夏休み最後の勉強会です。
こちらも今まで参加してきた類とは違ったイベントであったので、参加する前までとても緊張していました。
しかし、渋谷駅で迷ってしまい、少し遅れて到着してしまいました(笑)
会自体は、いろいろな方のお話が聞けて勉強になりました。
特に、2年目の先生なのに発表されている方がいて、とても驚きました。
内容もとても共感できる部分が多かったです。
「多様性を認める」という部分は特にそう思いました。
「尖った能力を持つ」という表現をその方はされていましたが、そういう特徴的な部分がないと、物事は進化していかないし、何より面白みに欠けてしまうと思います。
でも、今の公教育はその尖った部分をなるべく排除して、平均的な人間を育成しようとしているように見えます。
まあ、それは本当に上が望んだことではないとは思うのですが、それが下に伝わっていく過程で曲げられてしまったのではないかと思います。
また、時代によって必要な能力は異なるということも関連して考えれば、なおのこと、尖った能力は必要であるし、そこに協働性があることでみんなが幸せになることができると思います。
その一人ひとりが輝くことができる場を授業で出したいのは山々ではありますが、現段階ではまだ修行しなければ現実不可です。
ノンフィクション作家 小松成美さんと三原さんのトークセッションでは、小松さんの熱が熱すぎて、とても心に訴えかけられました。
「できると信じてくれる人の元で、一歩踏み出しステップアップできる」
これは心に響きましたね。
私も考えてみればそうですし、生徒への接し方も考えなければな~と思いました。
でも、できると思ってしまうと、少し厳しめになってしまいます(笑)
どううまく伝えるかですね。
だからこそ、「どうしてできない?」ではなく、「どうしたら、できるようになるだろう?」なんだと思います。
ただ期待してものを言うだけでなく、自分もともに考えていく。
ここが大切なのかな。
それに関連した話ではありますが、つい先日生徒にある質問をしました。
「学校の授業と部活動って同じ?違う?もし違うなら、何が違う?」と。
そうしたら、「授業は、先生の話を聞いて、受け身でやっているけど、部活は自分たちで活動している。」ということを言われました。
現実を受け止めるとともに、とても良いところに気付いてると思ったので、以下のように話しました。
「今の授業はそうかもしれないね。先生が与えて、それを覚えたり、そこから考えたり。けど、部活は自分たちで目標を立てて、その目標のために活動する。先生も含めて、協力している。これは何かに似ていると思う。会社とかに。大人になったら、目標を達成するために、仲間とともに協力したり、個人で頑張ったりしていく。部活動ではそんな感覚を少なからず学べると思うよ。」
この話がどれだけ伝わったかはわかりません。まして私は会社に入ったことがないのに、ここまで偉そうなことを言ってしまってよいのかも謎です。
ただ、やっていることは無駄ではないし、それはとても価値のあることであると考えてほしいのです。
でもそう思わせるためにも、こちらが考えていく必要があると改めて思いました。
「どうしたら、できるようになるだろう?」って。
とうとう2学期が始まります。
不安と期待が混ざっていて気持ち悪いですが、頑張ります。