dZAKIYAMAのブログ

若手教師が日々感じたことを書いていきます。

どうする自分

そろそろ1学期が終わります。

長いようであっという間でした。

まだ終わってはいませんが、あと残すところ2週間くらいでしょうか。

もう4月、5月、6月が終わったことになります。

思っていた以上にハードではあることはもちろんですが、それよりも学校によっての価値観のずれ、決まりのずれのようなものが印象に残ります。

結局どれが良いとか、よくないとか、その場の空気間で何となく決まってしまいます。

他の学校で聞くと、OKだったものや、良いとされているものは、自分の所属校ではNGであったり、その逆もしかりです。

まあ、そもそも人間が人間に対して教育する職業ですので、絶対なる厳密な基準はないように思いますし、あっても大まかな最低これだけは守ってねくらいの基準しかないように考えます。

それなのに、「これはこうしなさい」というように言われることが多くあります。

もちろんそれはいろんな人に対しての気遣いであったり、子どもの近い将来(進学するくらい)のことを考えてのことだということはわかります。

でも、本当にそれはそうなのかと思うのです。

評定1つ基準を決めるのだって、いろんな考えがあります。

それに対して、互いに互いの価値観を受け入れるキャパが少ないように感じます。

学校にフィットしてきた人たちだからこそ、「今まで」に縛られやすく、受け入れずらいのかもしれません。

私も「今まで」に縛られやすい人間ではありますが、そんな私でも、そう感じます。

といってもまだ始まって3か月。まだまだ分からないことがあるので、それらを身に付ける中で、先輩方の言っていたことの真意がわかるのかもしれません。

ただ、だからといって、単純にその価値観に染まることは逃れたいです。

話は変わりますが、先週の3年生の授業でのことです。

1年生と3年生ではかなり授業方式を変えています。(←これがなかなか難しい。)

それは3年生は今まで通りのほうが良いということをいろんな場面で感じ取ったからです。(生徒の発言、様子、指導教官からのアドバイスなど)

ある日の授業でのことですが、実験を予定していたのに、残り10分しか実験にとれる時間がなかった時のことです。

仕方ないので私は

「次の時間この器具で実験するから、遊んでいいよ。ただし、~~はしないこと。」

と言いました。

やはり気になる子筆頭に遊んでいます。

だけど、いつもとなんか違うのです。

同じようで、なんか違うという感覚です。

確かに遊んでいるのですが、ただふざけているのではなく、理科で遊んでいるという感じです。

何人かが器具の使い方について聞いてきます。

何人かはすでに記録シートに記録をつけて実験しています。

この何人かの行動をこっちがうまく広げてあげればいいのかと思いました。(案外当然のようで最近は忘れがちなのです...)

自分の環境設定次第では、、、と少し希望が見えた瞬間でした。

まだまだ自分の力量が足りない。当然ですけど。