省みること
とても忙しい一週間でした。
そして明日からもまた大変になるであろうと思います。
この時期は本当につらいなと痛感します。
たださえ部活は長くなるに、成績関連のことも普段の業務+αでやらなければいけません。
この1週間はかなり帰りが遅くなりました。
まあ、仕方ないのです。
そんな中、助けてくれる人がいます。
本当にありがたいことです。
その先生は人一倍頑張っている人だと思います。
だからこそ、人の痛みが分かり、人にやさしくなれるんだろうなと思います。
生徒への接し方に関しても、その先生はそうです。
ただのやさしいではない、本当のやさしさを持っていると思います。
それがゆえにいろいろと大変そうです。
本当に思っているからこそ、いろんな反発にあったり、受け入れられないことがあっても粘ることができるんだなと思います。
そう考えると、自分は冷たかったと思います。
あえて、あまり多くを言わないように意識しているのですが、それが見捨てなのか、あえて言わないのか自分でもわからないことがあるのです。
あまり言っても仕方がない、とうの本人が気が付かないなら意味はないとか考えていましたが、それをただ一貫しているだけでは、見捨てに繋がるのかなと感じるのです。
途中で行われる形成的評価ができていません。
おそらく彼が何かを描いて、起こしたアクションに対して、評価していない部分がありました。
でもどこまで手を出していいかわかりません。
そこの閾値といいますか、最近接領域的なところがどこか見分けるのが難しいのです。
ここもまだまだ修行が必要です。
またこんなことがありました。
ある部活で生徒に反発意見をもらった先生に聞いた話です。
具体的には公開しませんが、「先生と生徒が行える行動が違う」とか「そもそもいってること自体がお門違い」のようなことが聞こえてくるのです。
しかし、それは本当にそうなんですかね。
生徒は少なからず教師を見ています。反発意見が来るからには、それなりの理由があると思うのです。また彼らも一人の人間であり、ただの「子ども」ではないのです。
そして自分の行動を省みたのかどうかが重要だと思うのです。
落ち度があれば、謝るべきだし、互いにやっていくのが良いのかなと。
まあそんなこと言ってられないのが実際です。
難しいことがたくさんあります。