dZAKIYAMAのブログ

若手教師が日々感じたことを書いていきます。

「WATCHA TOKYO 侍」に参加して感じたこと。

昨日、突然ではありますが、「WATCHA TOKYO 侍」に参加してきました。

キャンセル待ちしていたのですが、前日に空きが出たということでしたので。

まあ、午前中の部活動で遅れての参加となりました(笑)

感想は行ってよかったと思いました。

懇親会こそ参加できなかったものの、1学期でメッタメタにされて、どうしようかと思っていたところでしたので、よい刺激を受けました。

特に刺激を受けたのは、「けテぶれ」と「サル先生」です。

「けテぶれ」ですが、話の内容などは、某N川先生とかなり近いものを感じました。

系統主義と経験主義を行ったり来たりしているとのことですね。

系統主義では、「基礎基本」の定着、詰込みから、主体性の低下というデメリットがあり、経験主義は、自ら学ぶことを重視しますが、そのための学習準備がとても難しいという点から、なかなか意図した方向に向かわず、総合的な学習の時間のように形骸化してしまうものであったり、結局、学力の低下に繋がってしまうとのことでした。

それらに対し、けテぶれは、「目的」・「目標」・「手段」があり、

「目標」はテストで合格点を示し、それを取るために自立して努力させ、「目的」は自立した学習者になるために、自分が何で学習すればよいかを考えさせ、そのために有効な「手段」をわたし、「計画」・「テスト」・「分析」・「練習」を通して子どもを成長させようとするものであったと思います。

これらを通すことで、子どもは「学習の責任を負うこと」、「友達・仲間との協力」、「友情や優しさの気づき」があるといいます。

一番印象に残っているのは、一斉指導とけテぶれの違いは、子どもを「学習の海」の中で、「ゴールまでこちらが船で連れて行こうとするか」、「手段などを与えて、自分たちで泳がせてみるか」の違いであるということでした。

一斉授業では、教師がゴールまで連れて行こうとしますが、もちろんその教え方が分からない子は、その船から落ちてしまい、学習の海に落ちてしまいます。しかし、自分で手段とペースが選べ、自分で泳いでいけるので、ゴールに向かうことができるということでした。

もちろん学習をさぼると、学習の海におちていってしまいますが、そこで自らの失敗に気付き、再チャレンジさせる機会を与えることで、子どもの自律をさらに促せるとも言っていました。

『学び合い』との違いは、「一人も見捨てない」のか、「学習者を自律させ、探究者にさせるか」なのかかなと思います。

サル先生は、働き方を考える上で、非常に考えさせられました。

今起きている教育のイノベーションは「普通の先生が、普通の先生に発信するということ」であり、親近感があり、一般の先生も手を出しやすいとのことです。

確かに私も日々SNSなどで、彼らのポジティブな情報=オモシロイ発信を見ることで、勉強になりますし、ただの参考ではなく、どれならできるかを、他のものよりも考えます。

そして、今発信している人になることで、利益が得られるとのことでした。

その辺は、「イノベーター」、「アーリーマジョリティ」、「キャズム」、「ブルーオーシャン」などの話を絡めて説明してもらえました。

この説明を非常にわかりやすかったです。

また、発信者への道として、「馬鹿にされるくらいがちょうどよい」といいます。

サル先生は、「教員の再魅力化」というミッションを掲げ、発信などの行動を起こしています。

このミッションについても、お金や名誉よりも自分がやりたい、自分の時間であると語っていました。

また教員は、曖昧で、自由度が高いこともあり、クリエイティブに考えることができる範囲も多いので、そこから違う視点で切り込み、実践などを生み出し、それを発信し、信用を得て、それらが収入やステータスになることで、教員の再魅力化につながると言います。

非常に二人とも濃い話をいて、とても勉強になりました。

でもここまで考えるに至るのは、きっとそれくらいぶれない軸があるかないかということなのかなと思いました。

他の人の実践や考えを聞き、学ぶのは良いですが、それらをそのままやっても同じような効果は実験のように得られないと思います。

まあ、実験でもそうですが、そこには明らかにされていない「条件」が存在しているはずです。

まず私は自分の軸を見つけないといけません。

この1学期を通し、現実と理想のギャップを知り、自分の中で迷いが生じています。

そこをはっきりさせ、軸を持って、再スタートできるように準備していかないと、、、。

そういうことも考えさせられた良い機会でありました。

まだまだ道は長いですね。