dZAKIYAMAのブログ

若手教師が日々感じたことを書いていきます。

それぞれの生き方

最近は梅雨かと思いきや暑くなったりと体に優しくないです。

6月も中盤です。一学期の終わりも見えてきました。

生徒たちの姿を見ているとなんだか疲れているように見えます。

そりゃ疲れますよね。こちら側も疲れてますから。

疲れている、いないは別として一人一人の違いがここ最近よく見えてきます。

ゴミがあれば拾う、配布物があれば配るというようなことです。

しかし、これって自然にできる子はあんまりいない。

遠慮してる?ではなく、きっとそういう環境で育ったということができる子出来ない子双方に言えます。

まあ、できないからってなんかあるのかってわけではないです。

でも、こういうのができた方が良いと人生経験から思います。

私もかつて(いや、今も汗)そういうのができず、やってる人をみてもただ見ていました。

ある時気付きました。

こういうのができると人のためになるし、高評価を得るんだなって。

評価の話は別にいいですが、人のためなるってのが、当時の私にはとても大きかったです。

今まで自分のことを考えていれば良かったものが、そうではなくなったからこそわかったことです。

逆にできる子はどんな風に考え、学んでいるのか気になります。

まあ、生まれて6年や7年の子がそれぞれの経験、良さ、未熟さがあるのに、いきなり学校で一律にそろえようとする、そういう教育をすることがなんかかわいそうな部分があるとふと思いました。

現場に出て、なおさら感じています。

生まれてから学校に入るまではどうやってもそろえることはできないし、大人になってもそれぞれの能力や経験をそろえることもできない。

もっと柔軟さが欲しいと思いますし、こちらもなんだか心が苦しいです。