多角的な視点で考える
今日も読書をしていましたが、何をするにしても、それは自分のためなのか、他人のためなのか、それとも両方のためなのかということについて考えさせられました。というのも、人は何かをするとき、自分のためにやるのか、他人のためにやるのかで大分考えられる方法、選択する行動の数が違うと思います。
これで私が思い出したのは、我が家で飼っているペットがいるのですが、この子が全然言うことを聞かない時がありまして。
まあ、言うことを聞かないと言っても、内容は家の木でできた部分をかじってしまうことですかね。
そもそもペットは禁止ということはさておき、、、
私はひたすら注意をしました。
やってはいけない。その場から離れなさい。
全然聞かないので、手でその場から半ば強引に離したり、少し声を強めに注意するなどしていました。
それでも今ひとつだったので、困っていました。
そこで妻にそのことを話したら、別に起こる様子もなく、なんなら優しい声でペットに話しかけているのですよ。
もちろん、これでも言うことを聞きません。
さあ、どうすんのかな。
妻はそのかじられている部分を家具で隠すようにしました。
そうすると、ペットはそこをかじることはできません。
もうこれでかじらないね!
って言っておしまい。
私の葛藤はなんだったのだろう。
そう、結局私は自分本意でしか考えていませんでした。
恥ずかしながら、もっとこうすればどちらも良いのでは?という発想にならなかったのです。
鳴かぬなら、鳴かせてみようホトトギス的発想はなかったです。
それは去年の学級経営にも言えることかなって思います。
未然にアクシデントが起きないようにする仕組みを考えていなかった、場当たり的な指導ばかりだったです。
発想の転換大切ですね。
何もアクシデントが起きなきゃそれはそれでおかしいし、子どもの成長になりませんけどね笑
というわけで、誰のために、何がどう最善であるかを考えるためには、あらゆる視点で多角的視点で物事を見ることが重要だと学びました。