dZAKIYAMAのブログ

若手教師が日々感じたことを書いていきます。

価値を置きたいところ

そろそろしんどくなってきました。

生徒指導が最近は多いです。

まあ、やっと本性をだしてきているのでしょう。

それか何かつまづきがあるのか。

そっち方面についてのやることが増えていく一方、授業もおろそかにしてはいけません。

最近は毎日に追いつくのに必死で、まともな準備を前以上にできていない。

指導教官の先生からは「塾とおんなじ」と言われる始末です。

たしかに今週の授業はそれを言われても否めない授業であったと思います。

しかし、自分ではどうしていいかわからなかった部分もあります。

ここさえわかればいいとか、なんて発問するか。

そこのずれがあったと思います。

でも私は本当に大切なもの、願いたいものを最近の学校生活で忘れていたと思います。

「目の前の子どもの幸せ」ですね。

この授業、瞬間がどう彼らの将来につながるか、生きる力の育成になるか。

そこが抜け落ちて、授業方法=目的のような状態になっていました。

つまり彼らが何を目指すべきかわからない授業になっていたのですね。

そして、そもそもの「学ぶ意味」についてを考え直さなければいけないと感じました。

それはT先生から拝借した本で気づかされました。

そう、自分は学ぶって何なのかわからずに「幸せ」、「願い」を持ち、時には子どもに話していたのです。

彼らからすると、「幸せ」、「願い」についてはわかるけど、それがどう学習に繋がっていくかがイマイチ入っていないのだと思います。

それと同時に「リフレクション」の重要性にまた気づかされました。

これはある先輩と評価について話しているときに出てきた話題です。

「その1時間の授業が、彼らにとってどういう意味を持つかが分からないとモチベーションに繋がらないよね」

その通りだと思います。

けど実際授業していると、わからなくなる。

その先輩は授業内でノートを使ってその時間の評価をしているそう。

なるほど。そうすれば別途時間を取らなくてもいいのか。

今までは「フーン、そういうやり方もあるんだな」ってことが、実は結構すごいことだったりする場面が多いです。

おそらく「現場」というものを全く知らないがゆえに、どこが大切か、重要かわからなかったのでしょう。

読み返すだけでも、とても勉強になります。

1学期ももう少しで終了します。

何にもできてないなというのが、正直な感想です。

まあ、でも仕方ないと思う面もあります。

ただ、このまま終わりってのも嫌ですね。

どうあがいていこうか、考え中です。